「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」マタイ24:12
「この種のものは祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ。」マルコ9:29

今日は18日です。去る15日が解放記念日(日本は敗戦記念日、朝鮮半島は光復節)。その前の週は6日ヒロシマ,9日ナガサキ、原爆の日を覚えました。

 しかし、平和を願っているという中で、政治のレベルではどうしてこのような不信を抱かせる混乱した現実が続くのかとの失望が巷にみちています。
 
近くで仲良くしなければならない日本と韓国との政治的な緊張は、両国にとっても良くないことです。今、民間の交流さえ危うくなっています。

その中でカトリック正義と平和の協議会が発表した「日韓政府関係の和解にむけての会長談話」はすばらしく論理的で前向きな意見書です。
 私たちの態度が「できない」と思うのではなく「愛があれば祈ることができる」いや、にっちもさっちもいかないことがあれば、それこそが「今」「祈る課題」なのです。

はじめて「神回」という言葉を知りました。神回 →「神憑った回」や「神の域の達する回」などの意味で使われています。「神」の出番?
驚きました。この表現はドラマその他の作品に使われるそうですが、私たちの人生も一種のドラマですから、祈ることによって「神回」にしたいものです。
私はひとつ難しい課題を担っていました。ある人に電話をすべきと思っていましたが、いままで勇気がありませんでした。ぼーっとしているとき「今、電話したら?」という直感の声を聞いた気がして、思い切ってかけてみました。すると案ずるより産むがやすし、とのことばとおり、うまく話せました。「祈りによらなければ決して追い出すことはできない」と思えることがあれば、祈りましょう。インマヌエルの神の愛が勝つことを信じて。

(2019年8月18日主日礼拝メッセージ要約より)