「祈りの人生」(マルコ14:32〜36)

あなたはなんでもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(36節)

イエスの人生の終わりの一場面が本日のテキストのところです。ゲッセマネで祈るところです。弟子たちに眠らずに、目を覚ましていてほしいと頼む程の苦しさでした。しかし、結局は自分の願いではなく、神の御心に適うことを第一とされました。イエスのこのときの心情、そのうめきから神の子としての超越的な生ではなく、限りなく生身の人間の苦しさを後世に伝えている場面です。血の汗を垂らして祈っている姿が、ひしひしと伝わってきます。

1月末から2月の8日まで4回連続で故安克昌精神科医の物語が放映されました。タイトルは彼のサントリー学芸賞受賞作「心の傷を癒すということ」という本の題名と同じです。俳優のうまさも加わって、阪神淡路大震災の25周年記念に相応しい良質のドラマでした。

この機会に知られたことは安医師の恩師中井久夫医師(統合失調症の研究でも作家としても有名)がどのような関わりを本人と持っていたかです。若干39歳という若さで成し遂げたい精神の病の治療の課題を抱きながら、幼い子供たちと妻を置いて癌によりこの世を去らねばならない無念の中で逝った安医師。葬儀委員長として彼を天に送る際に、朝鮮と日本の文化の違いなどをあげつつ、ハングルを折り交ぜて弔辞を述べたことなどが近著の新増刷版の上記同名の本で知らされました。知り合いのFacebookから、2016年、4年前にカトリック教会で受洗したことも(現在86才) 

また本日は詩人尹東柱(ユントンジュ)の命日でもあります。韓国の国民的詩人で日本でも多くのファンを魅了する詩人です。留学先の同志社大学在学中に朝鮮語で詩を書いたため治安維持法違反で逮捕され懲役2年の判決を受け服役中に福岡刑務所で27才の若さで絶命しました。かれの詩、「十字架」では、「・・・・・苦しんだ男、幸福なイエス・キリストのように/十字架が許されるなら/頸を垂れ/花のように咲きだす血を/たそがれゆく空のもと/静かに流しましょう。」と表現しています。作品だけではなく生き様がイエスキリストと同調しています。 キリスト者の生きる基本は「祈りの人生」です。

自分のエゴを実現させるための祈りではなく、大いなる神的存在(神)のみ心を問いつつ、自分の課題と向き合い、かつ世の平和を「祈る」幸いを抱いて。