「すべてのことに感謝」(1テサロニケ5:18)

「どんなことにも感謝しなさい。」 (5:18)

現在、新型コロナウイルスの脅威のため、いろいろな集会が取りやめになっています。不要不急の用事は避けて行動してくださいとの報道のためです。ならば、日曜礼拝についてはどうするか。関学神学部の教授の中道基夫さん、土井健司さんのキリスト教新聞での記事はとても神学的で信仰的で分かりやすく有意義です。(希望の方にはコピーを差し上げます)

西九条ハニル教会は礼拝最後の祝福の手つなぎはしないで、あいさつ。ランチは当分、おうどんは作らないで、既成のおにぎりやサンドイッチに変えます。

「どんなことにも感謝」ということばは今の心騒ぐ状態でも有効なのでしょうか。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しさい」と三つが並んでいるときは軽く考えがちです。でも、この「どんなことにも感謝しなさい」だけを取り上げると、「いや、それは・・・・・・・・」と足踏みをしてしまうわたくしたちです。

先月土曜ドラマで紹介された故安克昌医師の生涯について、身近な人たちの回想を含め、3月1日、Eテレの「心の時代」で紹介されました。彼の後を継いだ田中究さんの口を通して、安医師が韓国に短期留学して、日本に帰ったとき言った内容が紹介されました。「僕は韓国にも馴染めない、日本も、在日のどれも嫌いだ」だったと。

しかし、その身の置き所のない状況だからこそ、もっとも苦しんでいる精神疾患の人びとと関わり、寄り添うことで居場所を見つけたという逆説があったのではないでしょうか。

自死したい人に、「触れ合ったから僕は死んで欲しくない」と心から伝えました。この態度が多くの人をして、崇高なものを感じる感動と敬意の念を抱かせたのでしょう。

39才という短い生涯でしたが20年たって伝えられた内容はご自分の今の生に「感謝」がなければできなかった逆説の真理に満ちています。

「フランクルは人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に問いを発して人間は人生から問われている存在である。人生からの問いに答えなくてはならい存在なのだ。実は、私たちがこの世に生まれてからずっと、常に既に、私たちの足元に送り届けられてきていたのだということ。私たちは自分でその答えを求める。 私たちは、自分で何とかしよう。何をしようか。その中でもがいてしまいがちですが、個を離れると自由になれますね。」萩原優 「どんなことにも感謝」はこの境地からできることなのではないでしょうか。