「永遠の存在」 ヨハネ黙示録 21:5~7

「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」(6節)

本日はイースター礼拝です。主イエスの復活された日を記念する日です。 

愛なる神から遣わされ、この地上で受難を受け、あげくの果てに十字架刑という当時もっともむごい磔(はりつけ)という刑死によって殺され、三日目によみがえった(復活)日です。 

今年はとりわけ、世界中が新型コロナウイルスの蔓延のため、外出がままならない中で、このお祝いが寂しいものとなったと思います。 

でも、だからこそ、もう一度イエスの復活とはどういう意味なのか深く考える機会でもあります。 

まず人生には終わりがあることを改めて認識しましょう。たいていの人はずーっと先のこと、自分には訪れないかもしれないと思って過ごすものでしょう。(ただし、人生の最晩年、あるいは今のような危機的な時は別として。)でも、常にそうすると私たちは完全に死ねません(この言葉は北海道で知り合ったあるクリスチャン医師のものでした)あるいはこうも言えるでしょう。それなら私たちは、ほんとうに生きることができないでしょう、と。 

「わたしはアルファであり、オメガである。」とは、人の生命が終わりなき未来にあるということではありません。パウル・ティリッヒという神学者は「時の後には時はないが、時の上には永遠がある」と表現しています。 

イエスはこうも言われました。ヨハネ8:58イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはいる』」 不思議な言い方です。『わたしはいた』ではないのです。イエスはご自分の源は永遠にあるのだ、と言われておられます。 

「100万回生きたねこ」佐野洋子作)という優れた絵本があります。子供の絵本というより大人になって読むとその深い意味がわかります。生きるためにそれなりの生き方をあれこれと模索していましたが、愛することを学んだときに再び生まれて来なくなります。生まれ変わりのことを伝えているというより、源に帰ることができた物語として理解すると、味わいが増します。 

イエス・キリストの復活の物語は、ご自分が死を克服してよみがえったというメッセージだけではなく、私たち一人ひとりがどこからきてどこへ帰るのかという本質を伝えてくださったのです。ハッピー・イースター