「失ったものの発見」 ルカ15:8~10

「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」9節

 この個所は普通はどんなにおかしなところにいて、人間は探せなくとも、あきらめても「神様は私たちを一生懸命に探してくださる」とのメッセージです。
しかし、無くしたものを発見する人間の心のあり様をここから汲み取ってみますと、違った風景が見えてきます。

 産まれてからすぐに難病を患い一生人工呼吸器を外せないで家族の支えで生きてこられたJ君が、難病と併発した病ゆえ、去る月曜日に突然帰天しました。

 19才でした。愛する息子を失ったご両親は彼の笑顔が2度と見られない悲しみのさ中です。この喪失をどうするかの辛い日々が続いていると察します。願わくば
その後に、この喪失を超えて新たな発見をなされますよう切に祈ります。

 森崎和江さんのことは名前は知っていても、詳しくは不覚にも今年になってはじめて知りました。(1927年4月20日生まれ、2022年6月に95才で帰天。)

 この人の感性に驚嘆しました。父親の仕事ゆえ、朝鮮で17才まで育ち、その後日本に帰りました。しかし、日本の地は、彼女にとり、異郷の様な土地で、馴染めない生活の中で、朝鮮と日本と自分のことを掘り下げ始めます。そして炭鉱で働く女性や、「からゆき」として外国に売られて行った幸薄い女性たちの跡を訪ねて歩き、その過酷な生活を掘り下げて綴った人です。
 その感性は 茨木のり子(1926年6月12日 2006年2月17日 79才帰天)と繋がるところがあります。

 失ったもの、彼女にとっては、彼女自身のことでしたが、読む者にとって、少なくとも私の代わりに大切なものを探してくれたと思われます。
そして、その真摯な生き方は、いわば国の肩代わりをした人生ではなかったか、とも思います。
 人生、何かを得たつもりが失って、それを探して生きているようなものです。神の愛によって探してもらっている私たちが、ほんとうに見つけねばならないものを見つけつつ歩む毎日でありたいです。