「すべてを新しく」  フィリピ4:4~9

「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」5,6節

先週、私たちはクリスマスをお祝いしました。毎日がクリスマスです、と確認しました。私たちが飼い葉桶で、イエス(愛)を産むことを約束してくださった日であります。

その日から新しい毎日の始まりとなり、今日は世界の大多数の国でカレンダー上の新年がスタートしました。
 ダイアモンド富士なるものをテレビで観ました。朝日が富士山の頂上に昇った瞬間にダイアモンドのような光を放ちます。実に素晴らしい光景でした。 
 ユングが東アフリカのエルゴン山の近くに滞在しているとき、村人が朝早く太陽の昇るところに行く時、一緒に行って、「あなたたちは太陽を神として拝んでいるのか?」と訊いたそうです。
住民たちは全く馬鹿げた質問としてそれを打ち消します。「太陽が昇るとき、それが神さまだ」 
 ユングは「私は、人間の魂には始原のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、理解した。」と言っています。お正月に初日の出を見たくなるのもこの話と一脈通じでいるようです。でもこの日のみでなく、太陽は毎日登ります。

 フィリピ書は「喜びの書」と言われています。「主が、愛の神がすぐ近くにおられる」ことを告げられている私たちは何か固定化されたものに頼るのではなく、神の愛のダイナミックさに触れて歩んで行きたいものです。
 でも、そんなに張り切らなくてもよいですし、張り切っても良いのが新年でしょう。
 岡田虎二郎先生に命がけで師事したキリスト教社会主義者の木下尚江は以下のように詠んでいます。
「ことごとくわが身の影ぞありがたき神も悪魔も鬼も仏も」このような心情で、自分と仲良くし、他者への心くばりを怠らず、大いなる存在の神に繋がってこの一年、どんなことが待ち受けているか不確定ですが共に歩んで行きましょう。