「お任せの余裕」 ヒィリピ4:4~7

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」6節

 去る6月24日に、去故太田稔牧師を偲ぶ会が開かれました。コロナのために2年前に帰天されましたが、偲ぶ会は延期されていました。太田家の皆さまも これを機に新しいご家族との対面もあって帰天した太田牧師の計らいのような気がしました。あの世に行っても、地上で繋がった残された家族への愛は変わりないとの確信を得たような気がします。

 牧師になられてからの歩みについては少しは知っていたわたくしですが、その前の社会福祉関係でお働きのことは、今回集ってくださった方々との短くともじかのお交わりで、よくわかりました。人を知るということは限りがあるものです。

「いつも喜んでいなさい」と言うことばはヒィリピ書に数回出てきます。特別なことを喜ぶのは人の常ではあっても、苦境の中ではなかなか喜ぶことはできず、ましてや感謝は難しいです。

 このところ思いがけなく、ご自分やお子さんが癌になられた方々が私たちの教会にもおられます。
 朝日新聞6月14日(水)夕刊載った鎌田東二さんの記事は、危機を抱えていながら今をどう生きるかのヒントに満ちています。
 また、昨今、注目されているインターフェイス(信仰)の観点からも、鎌田東二さんのおっしゃっておられることは特定の宗教でなくても通じることです。ステージ4の癌の治療中に語られました。
 大いなるものとの繋がりを持って、最終的にはそこにお任せできることは、だれにとっても素晴らしい終わり方だと思います。
 スピリチュアルケア学会で親しくお話しできる私にとって、机上の研究者ではない鎌田東二さんの存在はもっと多くの方々に知ってもらいたいと思います。

「命は分類できません。丸ごと、そのままの流れにお任せするしかない。(中略)重要なのは、苦しみにあっても、心を開いていく道があると考えられることです。それは命を手放すこと、と言えます。命をまっとうできることに感謝し、最後には手放していく。」 いかがわしくない信仰とは、このようなものである、とあらためて感動しました。