新年礼拝「 新しい一歩 」 マタイ13:51~52
「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」52節
新しい年のはじまりをお祝い申し上げます。
しかし、元日から能登半島の地震・津波が起こり、2日の羽田空港の事件ととんでもないことが続き、みんな心が騒がしくなり、どんな風に過ごしたのか気が付くともう7日です。
本日の聖句では「学者」とあります。特別な勉強をしたり、学位を持っている人が学者でありません。人生、これは何かと探求心を持っている人はみな、学者と言えます。少なくともお正月早々の悲惨な状況におかれた人々について、また自分がその場に居たならば、と想像をめぐらし考えるひとは「学ぶ人」として学者といえるでしょう。
古いものを取り出すとは目に見えて古い物いうことではなく、古い思考であり、特に良し悪しと決めてしまう2元論です。 新しいものは2元論ではなく、こうも考えられるのではないでしょうか。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。帚木蓬生(ハハキギホウセイ)さんの本のタイトルです。 つまり、もう駄目だと思うところに可能性を見出すことです。
「『答えの出ない事態に耐える力』のことです。世の中は明確な答えのある問題ばかりではありません。むしろ人間社会は、解決できない問題の方が何倍も多いのではないですか。先が見えず、どうしようもない不安に耐えながら、熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力こそ、ネガティブ・ケイパビリティです」朝日新聞 1月3日より
ネガティブ・ケイパビリティの反対はポジティブ・ケイパビリティ(問題解決能力)です。普通はこちらの方が優位になっていますが、これだけでは本来の人の生き方ではありません。エリザベス・キューブラ・ロスもこう言っています。
You’re not okay. I’m not okay, either. And that’s okay.(あなたは大丈夫じゃない。私私も大丈夫じゃない。それで大丈夫です。)
新しい年にも持ち越すしかない問題を抱えていても、ネガティブ・ケイパビリティを信じて歩む者でありたいです。