「 復活の希望 」 1ペテロ1:3~9

「あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」9節

イースターおめでとうございます。

クリスマスよりもイースターの方がキリスト教では大事なことであると言います。
しかし、ただ不思議なことを成し遂げた方としてイエス・キリストを崇めているのなら、それは極端にいうと偶像礼拝になります。イエスはご自分が崇められることなど望んでおられなかったからです。
 復活をどうとらえるかについて韓国の民主化のために何度も投獄された故徐南同(ソナムドン)牧師は「革命のために蜂起すること」と言われました。革命のためは大変ですが、日常生活の中での改革ととらえるとどうでしょう。また、「抗う」と言い換えると慣習やその他の当たり前のようになっている規範などの窮屈なことの見直しをすることは人として挑戦するべきことではないでしょうか。

死と生とのことも、歴史上多くの研究がなされてきましたが、「死んでも生きている」ということばどおり、死んですべてが終わりではない、との認識が広まってきています。科学と神秘的なことがらが、それぞれの階段を上っていくと頂上で共に出合うことになっているということが知られてきています。

「アリラン・ラプソディ」を観てきました。日本で住む一世のハルモニ・(おばあさま)たちの波乱万丈の人生と今を長年にわたって撮り続けた金聖雄・(キムソンウン)監督の実直さ素朴さが 上映後のトークに現れていました。無実を訴えている袴田さんの映画も撮った方です。

 忘れがたい場面が多くある中で、2015(平成27)年9月19日、参院で安全保障関連法案(平和安全法制)が可決され、政府は憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認め、有事の際の外国軍隊との協力を法律に盛り込みました。それに対してハルモニたちは「せんそうハンタイ」とのデモ行進を車いすに乗りながら叫んでいる場面は涙が出ました。「過去は歴史、未来はミステリー、 今は神からの贈り物、だからプレゼント(現在形・贈り物)と呼ばれる」との言葉とおり、今を生きているハルモニたちの生きざまはまさしく「復活の生」を生きていると言えるでしょう。
 復活はイエスのみに過去に起きたこととしてとらえるのではなく、今を生きる私たちの「魂」のありように問いかけている現在進行形の出来事です。