「刺された釘」 フィリピ4:4~7

「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」6節

 

 人生においてこれは自分にはトゲのような仕打ち、試練だと思えることが誰にでもあるでしょ。刺さったトゲなら何とか抜くことができても。それが、釘でしたらどうでしょうか。「釘」ときいて、イエスの磔の釘を思い出した人もいるでしょう。

 いろいろな試練に会うのが人生の常といっても他者にひどいことをされ、刺された釘を抜こうにも相当な痛みを伴い、いきなり抜くと出血がひどくなります。 ですから、刺されたままにしておくか、少しづつ痛みをできるだけ感じないように見計らいながら抜くか、やり方はさまざまでしょう。

 また個人的な恨みつらみだけを言うのではなく、韓国語の恨(ハンーうらみではない)のように、民族が一時(いっとき)だけでなく、長い歴史の中で、個人ではどうしようもない苦難を背負って来た。その恨(ハン)を解くことによって溜まった負の思いを生きるエネルギーに変換させて前を向いていくということもあります。

 昨日(土曜日)に韓国の伝統舞踊を山本能楽堂にて久しぶりに鑑賞しました。 3人の優秀な踊り手のうち、リーダー格の卞仁子(ピョンインジャ)さんは今 70歳を越えましたが、最近患った癌を克服しながら研ぎ澄まされた感覚を一層踊りに込めて、舞っていました。若い頃から知っている人です。 それと2年前にかかった癌を克服しての公演ですので、是非とも、と思って教会員の8名とともに観に行ってきました。3人の踊りはスピリチュアルな深さを十二分に表してくれて、時々、涙を禁じえませんでした。

 「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ」は到底できそうもないことです。しかし、その苦しみを、(にもかかわらず)「求めているものを神に打ち明けなさい。」は、神が聴いてくださるという信頼の下、為せば、勇敢な行為の一歩になるでしょう。。昨日、久しぶりの踊りを見て、私たちも自分の生活の場で、復讐に気を向けるのではなく、少なくとも、身と心を整えて自分の状態を観察しながら、思いを昇華させる行為をして行けたらとしみじみ思いました。