「ダイナミックな力」 ルカ13:18~21
「神の国はからし種に似ている。」18,19
世界ではいつまでも、ひどい戦争が止まず、平和が遠のいていることを思うとき、聖書に書いてある神の国とはどんな様子なのかを探りたくなります。
本日のテキストはたとえ話で神の国を現わしています。マタイ、マルコにも書かれていますので、共観福音書に書かれていると言います。イエスが直接語ったと推察できます。 とても具体的なたとえ話です。小さな種、からし種が大きくなっただけでなく、その枝には鳥が巣を作ると言います。
ある方が分かち合いの中で、以前通っていた教会の玄関先に実際からし種が植えられて日よけにも使われ、大きくなったのを観たことがあると言われました。 「神の国」とはどんな国か、想像してみても、なかなかイメージが湧きません。
「神は愛である」(ヨハネ第一の手紙4:16)という聖句があります。また愛は神であるならば、「愛」の支配する国は「からし種」として考えてみるのはどうでしょう。抽象的に愛を考えてもあいまいなままになりますが、小さな種が大きくなったらそこに鳥が巣をつくる。からしの木は本来の姿で終わるのではなく、外から来る鳥が居心地が良いので、そこに巣作りをする、といいます。鳥を聖霊の働きと考えても良いのかもしれません。
神の国のダイナミックな力をこのように象徴的に現わすところが聖書の醍醐味でありましょう。 それは、神の国が人の心の中にある、というお話(ルカ17:21)と関連しています。
ヴィクトール・フランクルについての放送、 第一回目「日曜生まれの子」の放映の後に私はびっくりすることを親友から知らされました。常々フランクルと同時代、1997年まででしたが、生きたということを嬉しく思っていました。ですから、「あなたも日曜日に生まれているのよ」と調べてくれた友の心くばりに、おまけを頂いた気分になりました。ギリシャやローマの時代から、日曜日生まれは「凶運でさえ吉に変えられる」のだそうで、考えてもみなかったので、そのちょっとしたことがとても嬉しかったです。小さなことから初めて 小さくても愛を育てる者はびっくりする成果を必ず得ることを信じたいものです。