「苦しみの極みで」 ヨブ記 2:6~10

「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸も いただこうではないか。」10節

 キリスト者でなくとも文学作品としてヨブ記はよく読まれています。けれども 「なぜ善人にも苦しみがあるのか」というヨブ記の大きなテーマは、結局、神しか分からないというのが応えになっています。

 以下のような個所もあります。

「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:9)

 ヨブは神から認められるほど正しい人物であり、彼の苦難について、いろいろと解釈し、慰めたり警告してりした彼の友人たちの考え方は間違っていました 。 現代では、ユダヤ教のラビである人が14歳半の息子が難病にかかったことを神に問い続けた本がこれです。 「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」クシュナー(岩波現代文庫 )

 もう一つ「点滴ポール 生き抜くという旗印」 岩崎航 (ナナロク社)
 37歳(2013年現在)の人の詩集があります。3歳から筋ジストロフィーを発症。常に人工呼吸器を使い、生活のすべてに介助が必要な体には喜びと力をもたらす歌がある。(本の帯から)

 「地獄の一丁目も/涙の河も渡りきって/生きて来たんだ
                  その誇りを/抱きしめていく」91頁

 なぜ、とヨブ記の結論にモヤモヤするかもしれませんが、苦しみの極みで光を失わないで生きる人の存在がわたしたちに 「なぜ善人にも苦しみがあるのか」の問に応えてくれています。

少なくとも、人間の粘り強さ、希望を失わないで、今ここ生きる人びとが確かに おられるということが応えではないでしょうか。