「 解放と自由 」 マルコ2:13~17
「 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。」17節
よく知られた聖句の一つです。当たり前のことを言っています。なんとなくわかった風に理解しているつもりです。が、改めて考えてみると「丈夫な人」「病人」と二つに分けて考えるのは、単に目に見えていることで判断しているのではないか。
それよりも、見えない部分の例えば精神を病んでいる人を想定してみると、イエスはほんとうに人間の深い闇を知ってこのような言葉を発したのだといえるかもしれません。ところで、人間にとって何よりも必要なものは「自由」です。 どんなに衣食住が満たされていても自由がなければ、人はしあわせに感じません。
自由が束縛されている人が病人ということならば、おぞましい劣悪な精神病院をなくしたイタリアの例を思い浮かべます。(例外として凶悪な犯罪を犯す可能性のある人のみを収容する精神病院はひとつあります)
フランコ・バザーリア精神科医の働きは大きかったです。「自由こそ治療」「理性の悲観主義ではなく、実践の楽観主義へ」といういう考え方で治療をした人です。
先週の水曜日、19日にzoomでそれも2,3回しかお目にかかっていない大分の中津にお住まいのお坊さんAさんご夫妻が三重県に用事があって、帰路にわたくしに会いに来られました。浄土真宗大谷派(東本願寺)の方です。
キリスト教と仏教のお話を交えていろいろとお話しました。
《『本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし』親鸞。 この教えは人々に心の平和をもたらします。自分がどんな状況にあっても、阿弥陀仏の無条件の愛と救済があると知ることで、安心感と希望が生まれ、それが日常生活にも良い影響を与えるのです》と。
これを教えていただき、また私は神の無条件の愛について、またユングが東アフリカのエルゴン山で経験したその土地の人たちの太陽そのものではなく、「太陽が昇る力」を拝んでいることなどもお話しました。
イエス・キリストの働きは、人が本当の意味で解放され自由に生きることを助けることだったとしたら、遠い昔のお話や知らない土地で起きていることを知るだけでなく、自分の回りで何ができるか考え実践していく私たちでありたいものです。