「糸」1コリント12:12~26
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれればすべての部分が共に喜ぶのです。」26節
本日のテキストでパウロはわたしたちがキリストにあっていろんな部分に分かれていても一つであることを語っています。
今日は7月7日でいわゆる七夕(たなばた)です。1年に一度織姫と彦星が出会う日です。
つい、2つのエピソードを紹介したくなりました。
一つは中島みゆきの「糸」の歌詞。 「なぜ めぐり逢うのかを/私たちは なにも知らない /いつ めぐり逢うのかを私たちは いつも知らない/どこにいたの 生きてきたの/遠い空の下 ふたつの物語 縦の糸はあなた 横の糸は私/織りなす布は いつか誰かを/暖めうるかもしれない なぜ 生きてゆくのかを/迷った日の跡の ささくれ/夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ/こんな糸が なんになるの/心許なくて ふるえてた風の中 縦の糸はあなた 横の糸は私/織りなす布は いつか誰かの/傷をかばうかもしれない 縦の糸はあなた 横の糸は私/逢うべき糸に 出逢えることを/人は 仕合わせと呼びます」 しあわせを「仕え合う」と表現するのも素敵ですね。
出会いの様々は決して理想的な出会いではなくても、意味があることをこの歌は言っています。中島みゆきは大いなる存在を大事にしているのでこのような歌詞が生まれたのでしょう。
また朝日新聞でも連続で紹介されていましたが、「生野多文化フラット」が先週の金曜日、NHK総合「関西熱視線」で紹介されました。 今では80近い国と地域の人々が暮らす全国でも有数の多国籍・多文化の街に。ここで子どもへの学習支援や生活相談を行うのが「IKUNO・多文化ふらっと」。
中心メンバーは在日コリアン。差別と共生の歴史を生き抜いてきた経験から、誰もがありのままでいられる場を作ろうとしてきた。違いや変化を受け入れ、寄り添い支え合いながら、前を向いてしなやかに生きる人々の記録、と紹介されていましたが、ほんとうに見ていて私は涙してしまいました。
虐げられてきたものがあたかも「愛返し」のような形で今弱っている人たちを助けている。マタイ25章41節以下の聖書のことばが思いだされました。「最も小さなものにしたことが神にしたことになる」。この箇所を守れたら世の人権憲章などは必要がなくなる、という箇所です。必要とされている人との繋がりを改めて考えさせられます。