「苦悩を癒すもの」ローマ5:1~5
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む 希望はわたしたちを欺くことがありません」3節と4節
本日のテキストの全文は、
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
聖書が火災や水害などの災難に遭って、ボロボロになってしまっても、ここだけが残っていたら大丈夫というところがⅠコリント13章とローマ書の8章、それと5章のこの箇所であると言われています。
どんな苦悩、苦難があっても無条件の神の愛に心身を委ねて生きると、たとえ死に向き合うことがあったとしても、希望は私たちを欺くことがない、とパウロは伝えています。
ただ、 信仰によって義とされるという前提は 信仰を持つ、守るということに重点がかかり、愛の神はどこかに追いやられてしまう悲劇は実際に起きています。
他者の苦しみを理解し、共有することが置き忘れられて信仰帝国主義に陥る危険がともなっています。つまり、一番近い家族同士への配慮を後回しにしてしまうと、しっぺがいしがやってきます。
宗教と教育が間違ったら、魂を殺してしまいます。「苦難をも誇りとします」」は 忍耐、練達、希望に繋がるからこそ、聖霊の働きによって神の愛が心に注がれていることを体験しているからこそ、言える言葉です。
人生において自分には苦難は全くない、と断言できる人はいないと思います。苦難、苦悩を癒すのは、このままの自分を自分が受け容れると決心して自分と和解できるときに、真に癒されるのではないでしょうか。みなさまはどのようにお考えでしょうか。