「 望みと光 」 ヤコブ1:16~18
「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです」 17節
今、皆さまの心は平安ですか、ある心配事があって、それが気持ちに影響しているでしょうか? 目下、課題だと思う重荷が後になってみたら、ほんとうの自分の成長に良き刺激を与え成長と恵をもたらしてくれたもの、と認識できることもあります。
ヤコブ書はどちらかというと生活一般にわたる具体的な記述をしています。
マルチン・ルターはヤコブ書を藁の書として軽蔑していました。でも正典に入りましたし、そんなに毛嫌いされるほどのひどい手紙ではないと思うのですが。
ヤコブはここでは試練自体を、イエスの山上の垂訓と繋がっているので、それを知っていてこのような手紙を書いたと解釈する学者もいます。試練を喜べというのではなく、試練を喜びの土台とせよということを言っているようです。
今日のテキストの全文はヤコブ1:16~18です。
16 わたしの愛する兄弟姉妹たち、思い違いをしてはいけません。
17 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、《光の源》である御父から来るのです。
18 御父は、御心のままに、《真理の言葉》によってわたしたちを生んでくださいました。
それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。
「光の源」という言葉から神への呼びかけをいっとき「愛と光の源である神よ」と呼びかけた時もありました。「愛の神」は第一ヨハネの手紙4章にあります。
「真理の言葉」はヨハネ8:32「真理はあなたがたを自由にする」との言葉のように、「真理」を固定されたものと思うのではなく、この自分がその言葉にふれることによって「自由」を体感するときに、その感動が「生んでくださった」との実感を持つ私たちです。初穂はもっとも尊い存在です。
人の願望、望みは思ったとおりにならないこともあり、いや人生このような難関に出会うとは、と想像できなかった事件に出会うことがあります。
でも光の源である神の《はからい》は、私たちの思いを越えて、たえず私たちによきものをくださっている、と思えたら最高です。
望みはままならないとしても光は消えさることはありません。