「 愛・平和・自由 」 ガラテヤ3:27~28

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」28節

 この教会に参ったのは、1年半程前、内観の会でご一緒の大崎さんが、都島教会の心の勉強会と、赤を使った、素晴らしい画家の先生ー家近先生ーの絵をみるためにこちらに連れてきてくださったことがきっかけでした。

 聖餐式の新鮮さ、誰もが加われるナヌム、お坊さんをよんでの静坐会・・・私のようなものにまでこのお話会を任せていただけるほど、この教会は自由でぶっとんでいます。それは申牧師の“interfaith”のあり方からきていることがわかり、本当の神さま仏さまとはどのようなお方であるのか、愛とはどのようなものであるのか、死ぬまで学びは続きますが、そこに強くひかれ、感動する自分がおります。

 私を苦しめてきたものには ①両親の不和 ②夫のモラハラ ③娘の不登校、引きこもりがあります。幼い時から、母の父に対するグチを聞かされ、仮面家族の中で育ちました。父の転勤で高校の時、ニューヨークに3年半住みましたが、両親の不仲や言葉が話せないこと、西洋人に比べ容姿が劣っていると思い、“自分はダメだ”と思っていました。

 今では①②について、私が言いたいことを言ってこなかったこと、争いたくない、波風立たせてはいけない、こんなこと思ってはいけない、と自分の保身のためにも自分の気持ちにフタをし、ごまかし続けた結果、乳がんとうつという、心とからだの大きな病気をしたと思っています。また、夫のモラハラをゆるしたことで、子どもの心に面前DVと言われる大変な傷を残し、不登校や引きこもりにいたらせてしまったと思います。夫→妻、妻→子へ『弱い』人間が弱いものにあたるという、被害者としての自分と加害者としての自分がいます。

 罪をたくさん犯してきた自分ですが、今では娘の不登校も、夫のモラハラ(DV)も、両親の不和も、私が真の神さま仏さまー愛ーに出会うため、私自身がこの命を喜んで生きるためだったと思います。

 人次第、環境次第ではなく、私自身が平和であること。それこそが『自立』であり、大切なことー愛ーは、時代、民族、宗教、性差、生死を超えていると思います。          (文責 申 英子)