「自分を愛するとは」 マタイ25章40節

「はっきりいっておくわたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは 私にしてくれたことなのである」

最も小さいところに主が宿る。 最も小さいところに愛のちからが働く。
証の機会があたえられ、7月7日の申牧師のメッセージで言われた言葉がずっと心に残っていました。私は、1962年8月に大阪鶴橋で一卵性双生児、5人姉妹の長女として生まれました。アボヂ(父)は1932年韓国全羅南道康津で生まれ24、25歳位のときに、兄と離れて暮らしていた甥を兄に会わせるため日本に渡ってくる(自主入国)。密航とういことで捕まり、大村収容所に収容される。その後、日本での生活が始まり、済州島出身のオモニ(母)と出会い、結婚、父31歳、母24歳の頃、私が生まれました。

アボヂの家系は代々のクリスチャンで、日本に来てからは在日大韓キリスト教会、大阪教会に通い信仰生活を送ります。自然と娘たちも教会へ通うようになり、その頃神学生だった夫と出会い結婚。当時伝道師だった彼は、結婚後牧師となり生活が始まります。彼の生い立ちについて、幼少期、生後間もなく、両親が離婚、その後祖母に育てられる。父の再婚に伴い、小学校6年生の頃、父の再婚する家に移り住むようになり、義母による虐待を受けてきたこと。結婚の手続きの際に、彼には国籍がなかったことを知りました。結婚後は想像もつかない人生を歩みました。牧師として札幌、大阪、下関、カナダ、川崎へと赴き、その間に鬱病を発症、精神障害という言葉を知ったのはまだ子どもたちが小さかった頃でした。なぜ、今 わたしはここにいるのか・・・。

それは自死による夫の突然の死、59歳でした。人生の中において突然の強制終了。夫と暮らした33年間の人生の旅路、私は彼の何を知っていたのだろうか。証をするにあたり開くことができなかった夫のノート。そこには、「主のみ前で再びお会いできますように」と一文が残されていました。弱さを抱えていた人は実は外に居たのではなく、私の隣に居たのでした。主が既にそこに宿っていたことに気づくことなく、外に目を向けていた自分でした。人生の中で大きな失敗をしてしまったと悔いる自分がいます。私にとっていちばん近くに居た、隣りにいる人(隣人)だった。夫は、説教の中で、隣人を受け止めるということは、すなわち自分自身を受け止め、見つめ直すことと表裏一体なのだと語っています。最後に残した「主のみ前で再びあえますように」、この言葉は夫の祈りであるともに、私、私達家族に残された希望の言葉なのだと。キリストに出会い、救われた夫の人生を心に刻み、主のみ前で再び会えると信じ、この先も歩んでいけたらと思います。

「自分を愛するとは」最も近くにいる者との関わりを外しては考えられないということ、自分自身の話をする機会など、またするつもりもないと苦しい胸の内を開示する術をなくしておりました。このような機会を与えてくださり心から感謝をいたします。