「 あらたな力 」 イザヤ40:27~31

「主 望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」31節

 今日は敬老の日を覚える主日です。 そこで第一に思い浮かぶ個所はこのところです。 若い頃、神学生として通っていた教会で牧師の故李仁夏(イインハ)牧師が この箇所を声をつまらせて朗読、説教をしたことを思い出します。 きっと何かお辛いことがあって、この聖書の箇所から慰めと勇気を頂いておられたのではと思います。

「主(神)に望みをおく人は新たな力を得る」は、 人間はいろいろなものに望みをおいて生きるものです。が、なによりも神(=愛)に望みを置くことが、「走っても、歩いても弱ることなく、疲れない」と解釈できます。

 数日前にお見舞いに行った余命はわずかと言われているTNさんから、人生の時間の流れについて深い示唆をもらいました。この先はどれほどの時間があるかは知ることはできなくとも、今、限られた時間の中で何が一番大切なものか、自分を生かしているのか、体験し、味わいつつ毎日を過ごしておられます。

 また、木曜日に2度目にこの西九条ハニル教会を訪ねてくださった大分県の浄土真宗の僧侶であるEJさんには驚かされました。一時間を私との対談のyoutubeに使い、そのあとはzoom にていわゆる説法に基づいてグループカウンセリングでした。10名くらいの人たちがそれぞれの地域から参加されていました。キリスト教についての質問も参加者から出て、少しお話しました。
 そのあと、富山県に向かい、また違うグループの方たちと同様のことをなさり、なんと遠いベラルーシ―にもzoomで通訳を入れてグループカウンセリングをしているということでした。

 わたしは、いろいろなお坊さんを知っているほうですが、ご自分のこともさらけ出しながらご夫婦で仏の道を情熱的に自由に伝道しておられる姿に、「主=神=愛」に望みを置く人のリアルな姿に触れさせていただきました。

 宗教を超えて分かり合えるのは、何が一番大事なことで、何をしているかの相互理解がゆるされる中で可能であることをしみじみと教えられています。