「 余 裕 」 ロマ12:9~21

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」15節

 一昨日、27日(金曜日)TMさんの告別式がありました。享年49歳でした。 7月2日に咽頭癌の手術を終えて闘病生活を続けていましたが、9月25日に帰天されました。
 生前の彼からは想像できないくらいご自分を正直に語り、安らかに妹さんに看取られて、大好きなケアホームで息をひきとられました。

 告別式には数年間疎遠であったお子さん二人、親戚の人々、親友、サックスの仲間などが集い地上でのお別れをいたしました。

 今日のテキストは良く知られた聖句の一つです。でも、これを実行するのはなかなか難しいです。 こちら側に心と体の余裕、それにスピリチュアルな余裕がなければできないことです。

 本日のテキストはキリスト教的生活の規範という小見出しがつけられています。 愛と苦難と祈り、そして復讐ではなく、神に任せよ、とあります。

 昔、私の恩師が「葬式の時に何も伝えることが無いような生き方をしないで欲しい」と教会で言われていました。でも、何も伝えることが無くても、その人の歩んだ足跡は残っていて、お別れのときに、みんなでその足跡をたどって、「ご苦労様」と言えるのでは?と思いました。

 それも今回TNさんの終末に携わるようになって考えさせられたことです。 またスピリチュアルケアの学びを続ける中で、アナムカラ(魂の友)という言葉に触れました。

 人が生まれてくるには助産師が必要なようにあの世に旅立つには助死師が必要です。死にゆく者は社会的な苦しみ、肉体的な苦しみ、精神的な苦しみに加えて霊的(スピリチュアル)な苦しみがあります。アナムカラはそれらの苦しみを無くすことはできなくとも、少なくとも伴走することはできるのではないでしょうか。

 今回の看取りの経験をとおして、ほんの少しのお手伝をさせて頂き感謝なことでした。が、もう一歩踏み込んでなすべきことが出来なかったことは、彼が与えてくれた課題と受け取りました。後悔を伴ってもいますが、それでも感謝すべき時でもありました。