「表現すること」1コリント 14:13~ 19

「霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。」15節

 先週の木曜日に沖縄の宮古島教会の若い坂口聖子牧師が教団の会議で来阪。限られた時間でしたが、久しぶりに会って話しました。

 坂口牧師はダンスをとおして信仰を表現している教団の中でも珍しい存在です。
ちなみに母上は尾毛佳靖子牧師で、当教会の特別伝道礼拝でお話してくださいまた。

 また昨日の土曜日には「アリラン・ラプソディ」という映画の鑑賞。神奈川県の川崎に住む一世のハルモニ(おばあさん)たちの生活を記録したドキュメンタリー映画です。 先回十三の七芸で鑑賞しましたが、もう一度、生野での上映と知って、それも廃校になったところを地域のふれあいの場にしたと聞き行ってみようと思ったわけです。

 実は、北海道で生まれ幼少期を過ごしていたところ、急病で父を亡くし、母子家庭となり大阪は生野区への移住を余儀なくされたわたくしです。小樽という美しい街から当時の生野、それも猪飼野と呼ばれる地域で住むことになったことは10歳の自分にとっては大きなショックでした。
 川崎には神学生時代から伝道師になって約8年間住んでいました。この映画には 苦悩と希望の入り混じった10代と20代の自分を思い出す要素がいっぱい詰まっています。
 また最近、図書館で借りた『イエスは4度笑った』米田彰男著 という本の内容。聖書神学に興味のある人は是非読んでい頂きたいです。4福音書にはイエスは笑ったとは書いていません。なぜか。

 イエスが笑うことについての考察。以前観たウンベルト・エーコ原作の映画『薔薇の名前』という映画とその内容も、やはりイエスが笑ったということが焦点になっています。
 イエスが人間らしく笑うことはあり得ないとしていた当時のキリスト教界の闇があぶり出されています。

信仰(正しく愛する)を持っているならば、本当のイエスはそうであったように、みんなと話し、分かち合って食べ、よく笑う。体で表現することもあり、言葉で自分の思ったことを発信する。「霊で祈り、理性でも祈る」とは、なんとバランスのとれた祈りでありましょう。