「 神からの贈り物 」 Ⅱテモテ1:3~7
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」Ⅱテモテへの手紙1:7
本日のテキストは、当教会の一年間の標語でもありました。しかし、特別にメッセージにて取り上げたことはありませんでした。
イエスをこの地上に送ってくださり、神の愛が具体的に人の間に生きて伝えられたことを考える時、神は私たちにどのように生きて欲しかったのか、と 改めて考えます。そのことに応える一例がこのテモテへの手紙でしょう。
パウロは熱心にキリストの為に正しい教理にしっかりと立つようにと励まし、同時に神に背く教えや行動を戒め、不品行を避けるようにと命じます。 終末のときは厳しい迫害や背教も起こることも記しています。最後にはキリスト者が信仰に堅く立って走るべき道のりを走り終えるようにと熱心に懇願して手紙をとじています。
神は霊(エネルギー、波動とも言えます)によって私たちに必要なものを送ってくださいます。「おくびょうの霊」ではなく「力と愛と思慮分別(self-discipline)の霊」を。
ガラテヤ5章の22~23節以下には霊の実りとして、いくつか挙げられています。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。」この節制はセルフコントロールと訳されます。セルフコントロールは瞬間的な衝動を抑える能力に関するものです。
本日の思慮分別は自己規律とも言えます。自分で深く考え何をどうするかと判断できる霊であると言えます。自己規律は長期的な努力や習慣に関するものであります。
ですので臆病の霊はセルフコントロールと自己規律を備えていない霊になります。もし、わたくしたちが信仰者としての生活を全うしたいならば、自己検討を怠らないで、この二つが生活の基盤になっているかどうかを見据えていく余裕をもちたいものです。
古い生活習慣は捨て去り、あたらしい生き方に挑戦する時がまさしく目の前にあります。新年を迎えるにあたって、今一度、神からの贈り物に注目しましょう。