「 命のリレー 」創世記 1:27~28、3:15~16
「神はご自分にかたどって人を創造された」27節
わたくしは戦後の混乱時、昭和23(1948年)年に生まれました。
幼少期は虚食症状態で40度近い熱が頻繁に繰り返され、幼稚園に入る頃まで続きました。 父は当時手に入れるのが難しいストレプトマイシンを購入して、阪大病院へ預け、治療を受けました。一方、母は石切さんへニッサン参り、つまり23日間、お参りし、特別のお水を頂いて飲ませてくれたりしました。
小・中学校では心臓が悪いと診断され、体育はほとんど見学。高校2年生の終わり頃に突然倒れ、緊急搬送されました。ですから大学進学は諦め、父の勧めで専門学校、文化服装学園に進学。卒業後、土木設計会社の支店長の秘書として2年間勤務しました。その後、横浜で小さな土木会社を経営する人と結婚し、10年間過ごしました。
結婚し、同じ時期にエホバの証人と交わり、組織の教えに疑問を持ちながら10年間、月100時間の奉仕を行なっていましたが大変な思いをして脱退し同時に離婚をして帰阪しました。
その後再婚した夫との間に女の子をさずかりました。38歳の初産で高齢出産、子宮筋腫で赤ちゃんの頭より大きな3個の筋腫を手術して取り、無事に出産しました。後になって当時の医師より、現在はそのような手術はしないと言われました。
教会ジプシーのように、30年前から様々な教会を訪ね歩きました。家から徒歩3分の福音派の恵み教会や日本基督教団のK教会に通うようになりました。しかし、娘の大学進学問題で当時の牧師によるいやがらせを機に家族全員その教会を去りました。夫は教会に失望し、自称クリスチャンと言いつつ元の高野山信仰宗に戻り、毎日真剣に般若心経を唱えています。
娘は牧師と結婚し、2人の子供の母親として日々励んでいて命が繋がれています。娘が通っていた高校の聖書の講師であった申 英子牧師と出会い今西九条ハニル教会へと導かれ、信仰生活を続けています。
人生の展望、未来への願いは、神様の恵みの道しるべを見極めて日々歩んで行けることを願っています。