「 出会いと応答 」サムエル記上3:1~15
「主よ、お話ください。僕(しもべ)は聞いております。」9節
幼い男の子の祈りの絵をたくさんの方がご覧になっています。 皆さんにサムエルの祈りの絵を見せました。ジョシュア・レイノルズ 18世紀の作品で、良く知られている絵です。
ハンナは子が産めないことを嘆いていました。神に、子どもが与えられたら神に捧げますと祈り、生まれた子をその通りにしました。エリ大祭司にまだ幼いときに預けます。ある時師匠が呼んでいると思って行ってみますが、違いました。3回も行ってエリは神が呼んでいると思ってサムエルにさとらせます。
そこで育てられたサムエルは長じて神からのお告げで恩師エリの息子たちへの厳しい神からのお言葉を告げることになります。
みなさまどんな出会いをしてここまで来られましたか? 私も良き師に会えた、しかし、後に意見が対立したということもありました。
出会いがあったら何らかの応答はなされます。そこで人は成長していくのではないでしょうか。
ある人との出会いと別れ、でも何らかの応答は分かれる前に、あるいは後になされています。その成果を身に帯びて私たちは今の私でいるのです。
肉体では分かれていても、生きていたときの出会いと応答は私たちの魂に刻まれています。
このような言葉があります。
「人間が自分の人生から学び取ることのできる最も重要な教訓は、この世には苦しみがあるということではなく、苦しみを活用するかどうかはわれわれ次第であり、苦しみは喜びに変わるということである。」タゴール
つまるところ、私がわたしと出会っているか?の問は他者との出会いの前に大事なことでありましょう。あたかもイエスが「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われた意味深長な言葉はここでも活きています。出会いと応答の人生で、自分らしさを培っているのではありませんか?