「 祈りの生活 」マルコ14:32~36

「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」36節

 イエスのゲッセマネでの苦しい祈りの場面。弟子たちに「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われても弟子たちは眠たかったので寝てしまいました
本日は尹東柱(ユントンジュ)の命日です。彼は当時の満州(現: 中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州)で生まれました。家族はキリスト教を信仰し、本人も敬虔なキリスト教信者でした。

 彼は延禧専門学校文科(現: 延世大学)卒業後、日本のキリスト系大学である立教大学英文科に留学します。そして同志社大学英文科に編入しますが、ハングルで詩を書いたということで、治安維持法違反で逮捕され、祖国解放の直前である1945年2月に福岡刑務所で獄死してしまいました。

 彼の短い人生を思うとき、イエスの姿が浮かんできます。尹東柱の「十字架」という詩には、イエスを描きながら、彼の内面の葛藤と深い信仰、そして彼の置かれた状況への苦悩が描かれています。尹東柱は、自身の不幸を受け入れながらも、信仰を通じて慰めと希望を見いだす姿を詩で描いています。

 この詩の中で彼は、イエス・キリストの十字架の犠牲を自身の苦悩と重ね合わせ、「不幸でありながらも幸せ」と感じる心情を表現しています。彼の詩は非常に深く、人間の存在や信仰について考えさせられるものがあります。これを書いて4年後に獄死します。

 イエスは弟子に祈って欲しいと伝えました。尹東柱(ユントンジュ)は27歳という若さで獄で殺されました。最後は看守には聞き取れない叫び声をあげて、絶命したそうです。
 当時、彼一人ではなく、多くの尹東柱が居ましたし、今も世界の戦地で、置かれている過酷な状況の中で、祈りつつ、詩をとおして、また他のやり方で、運良くば、電話やSNSを使って発信している人たちもいます。彼らを救う手立ての一つも思い浮かばない私はイエスの処刑前の祈りに連なわせて頂きたく、きっと寝てしまうかも知れなくとも、少なくとも記憶していたい、命あるかぎり、祈りの生活を続けていくことを、今日決心させて頂こうと思いました。それも「御心に適うことが行われますように」を基として。