「 確かなる信頼 」 ルカ18:1~8
「神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」8節
この譬え話は、頑固な裁判官が、訴えてくる寡婦のしつこさに負けて要求を飲むというストーリーです。ましてや神は人の切なる願いを、きき入れて下さらないことはない、と。
でも本当にここで言いたいことはおしまいの「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見出すだろうか」という節です。
その信仰というのは神や、キリストをただ崇めるということではなく、「信仰は神、ないしは大いなる存在と自分自身が繋がっているかどうか」ということだと言えましょう。
「人が失敗する原因は一つしかない。それは本当の自分に対する信頼の欠如だ」ウイリアム・ジェームス を思い出します。
また「裁いてくださる」を読んで、「ああやっぱり神は裁きの神なんだ」と思ってしまう人もいます。果たしてそうでしょうか。
裁くは、原語、コイネーギリシャ語でκρ?νω」(krin?)クリノーです。4つぐらいの意味があります。ここルカ18:8では、神がその民の切実な祈りに迅速かつ公正に応えるという保証を強調し、神の公正で正義のある審判者としての役割を強調しています。
ところで3月1日は韓国では3・1節(サミルチョル)といって1919年に起きた独立運動を記念する日です。日本は学校では近代史と現代史を詳しく教えていないため、15世紀、フランスを助けたジャンヌダルクは知っていても抗日運動で殺されたユ・グアンスン(柳寛順)は知らされていません。
しかし、2月28日の朝日新聞 の投稿欄には驚きました。「押しが『反日』で悲しい人へ」との題で17歳の高校生が日韓の歴史にも目を向けて欲しい、と深い内容の文章を投稿しました。
ユ・グアンスンは17歳で殺されたことを思うと、この島根県の17歳の女子高校生の文章が深い慰めに満ちたものと思うのは私だけでしょうか。(朴洪奎さんからお知らせがありました。実は愛真高校の2年生でピアノの上手な生徒さんだということでした。)