「 愛はすべてを 」コロサイ人への手紙 3章12節~14節

「愛は、全てを完成させるきずなです。」新共同訳
「愛はすべてを完全に結ぶ帯です。」(口語訳、聖書協会共同訳)
 こちらの方が良いですね。具体的だと思うからです。

 帯は使われてなんぼのものです。取ってむすんではじめてその役目をはたします。
 先週はとても濃い一週間でした。日曜日礼拝後 当教会にて、名倉師による 静坐会がありました。花粉症その他の都合で欠席になった方が多く、いつもより少ない人数での修練。その後の話し合いは深く広くできました。英国でどのような方たちがこの静坐を修練しているかとのお話も含めて。

 火,水曜日には静坐を始めた岡田虎二郎と関係の深いお二方の書かれたものを手に取ることができました。

  今岡信一良(教育者、宗教家、翻訳家) ハーバード大の神学部を出て、牧師であった時もあった。「人 生百年」PDF
  柳田誠二郎(実業家。日本航空 初代社長)の3冊の本「静坐のすすめ」は教会にあっても他の2冊「静坐のこころ」と「静坐の道」はなくて、幸いにも親切な方からお借りすることができました。

 そして上記の二人の大先輩から静坐の岡田虎二郎も米国で洗礼を受けていたことを知りました。岡田はすべての宗教の根底にある神、それが愛であると強調されています。また、静坐のする前に天の神を真に信じているかが問題であると言っています。

 西九条ハニル教会も文化的ないろいろなことをしていますが、わたしは基本は礼拝だと言っています。 宋富子(ソンプジャ 川崎在住の在日コリアン)さんが、ラジオの「宗教の時代」、今朝のNHKラジオ828で「自分を愛するように~どうやってクリスチャンになったか」を具体的に実践したことを語っていました。とても分かりやすい実践のお話でした。クリスチャンになって「隣人を愛しなさい」という言葉をそれまで嫌いだった夫をどのように愛していったかなどの実践も語っています。

 帯は眺めていても意味がない、くくってはじめて務めを果たすのです。受難節にイエス・キリストが教えてくれたことの何ぶんの一でも実践することは 頭で受難週を理解するより勝っているのではないでしょうか?