「 輝きの道 」箴言4:18 ロマ書 14:9
「神に従う人の道は輝き出る光 進むほどに光は増し真昼の輝きとなる。」 箴言4:18
「キリストは、死者と生者との主となるために、生きるものと死ぬものとの主として死んで生き返られたからである」ロマ14:9
イースターおめでとうございます。
キリスト教が処女(おとめ)による降誕と復活がなければ、信じてもいい宗教だ、と言った人がいます。多分そう思っている人は多いでしょう。
しかし、この二つの信じがたい出来事があってはじめてキリスト教はキリスト教なのです。
先日THさんのお葬儀がありました。事故で脳挫傷は治っても脳内に水頭症 があると判明し、意識がないまま、3年2ケ月寝たっきりで今月の6日に誤嚥性肺炎で帰天されました。病院での長きにわたる日々。何の意味があるのかと思います。が、そのこととイエスの復活は関係がないとはいえません。
イエスの復活は「抗うこと」と表現したのは韓国の民衆神学者の徐南同(ソナムドン)牧師。
人は生き返らない→イエスは生き返った.どんな形で「違った姿で」。 死に対しては抗えない私たちです。しかし、イエスは抗ってよみがえりました。
ただ、神の子だからよみがえって、「すごい」、と思うだけならこのイエスの復活を理解していないことになります。THさんの死からこうかんがえられるでしょう。死ぬことによってもう一度、彼の人となり、業績が甦(よみがえ)らされ、それを活かしていくのも家族、弟子、信仰共同体の私たちにかかっているのではないでしょうか。
復活をイエスに起きた特異なことと考えるのか、2千年以上もたった今の私たちにとってそれはどんな意味があるのか考えてみましょう。
私たちの生活が、もし死んだようになっている毎日ならば、その営みのなかで、復活を経験して生きなさい、との神からの祝福となっていることを思い出すのがイースターです。
もう一度、復活祭おめでございます。