「 生き生きとした希望 」1ペテロ1:3~9
「イエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えた。」 3節
先週、私たちはイースターをお祝いしました。
故犬養道子さんはアフリカの飢餓や難民問題を描いた著書を出版し、その印税で難民の子どもの教育支援基金を設立しました。彼女の活動は正義感と広い視野を持った働きであったと高く評価されています。
特に、「人間の大地」にかかれている印象に残るエピソードを一つ。アフリカ・カオイダン難民キャンプでのこと。最善を尽くした医師も匙を投げた、親もいない誰にも保護されない絶望的な状況の子どもを、25歳のアメリカ人ボランティアのピーターが昼夜を問わず、抱きしめてほほずりし寄り添い続けたことで、その子どもが奇跡的に回復したことが記されています。「愛こそは最上の薬だ、食だ」というキャンプの主任の言葉が印象的でありました。と。
「 生き生きした希望 」とは愛のことであります。愛は死を超えます。
魂まで届く愛(恋愛だけではありません)の経験があるときはきっと、 復活が本当にあった、死んで終わりではないことを私たちの生活の中でも体験することができるのでしょう。その時その人はきっと心地良い「達成感」を感じるのではないでしょうか。
9節には「あなた方が信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」とあります。 イエス・キリストの復活が与える希望と、愛の具体的な働きが人を生かす力になります。
また、誰かに寄り添って生きることを自分の使命として生きる時、間違ってはならないことは、境界線を越えて、その人の自律する領域まで入り込み、依存関係に陥らないようにすることでしょう。ですから、「愛すること」はどこまでも学ぶことを前提としています。
頭だけの理解ではなく絶望から希望に生きる復活を生きる。どんな困難なときにも自分は聖霊によって成長する存在であることを忘れないことです。