「 求め、探し、叩きなさい。 」マタイ7:7~12

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。」マタイ7:7

 よく知られたこの聖書のことばは、最後にこう締めくくられます。 「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」マタイ7:12

 ① 求める? 何かを求めずに生きてきた人などいるでしょうか。
 ② 探す?  これは具体的な行動です。
 ③ 叩く?  門を叩くという行為は、身体を使うことを意味します。そして、強く叩けば手が痛むこともあります。

 長くお付き合いしていた先輩の女性との地上での交わりが、思いがけず急に終わってしまいました。週に一度くらい電話をしていましたが、このところいくら電話をかけても留守でした。出席教会の牧師にたずねると、4月17日に体調不良で長女さんの車で近くの行きつけの病院に着いたがそのまま亡くなられたとのこと。私には18日にメールをくださったのが、迷惑メールに入っていて気が付きませんでした。お葬儀は彼女も亡き夫さんも牧師だったのに、家族は牧師の個人的にという立場ででも葬儀に参列させてほしいという願いも断りました。驚きでした。

 彼女は何を求めていたのでしょうか。その答えを知ることなく、後悔ばかりが募ります。そんな中、次の言葉が私の心を慰めてくれました。
「人生に偶然などありません。すべてのことは前向きな理由があって起こるのです。」(エリザベス・キューブラー・ロス)

 そう思えるのは、曲がりなりにも彼女も私も、神に守られ、愛されていることを確信していたからのでしょうか。

 決して変わることのない関係?神と私たちとの絆。これを家族や親しい人と共有していくのは誰にとっても、この世を去る前の大切なお仕事なのでしょう。改めて自分は何を求めているのか自問自答する日々となりました。