「 主の祈り6 」 マタイ6:13
「われらを試み(誘惑)に遭わせず悪より救いだしたまえ 」
主の祈りも終盤に近付いてきました。
「誘惑に遭わせず」も神が誘惑に遭わせているのではなく、私たちの思いがど
ちらに行くかです。信仰とは決断ですから、
本日、この猛暑の中、教会に来るように決断したのはご自分ですね。ことごと
くどちらを取るか、生活をしていたら迷いがでます。そのとき決めるのは私た
ちです。
「悪より」について、ギリシャ語原文では、apo tou pon?r と書かれており、
これは定冠詞付きの形容詞で、文法的には中性名詞「悪(evil)」とも、男性
名詞「悪い者(the evil one)」=悪魔とも解釈できます。
英語訳の “from evil” は中性的に「悪一般」と訳しており、広く悪の力や
悪しき状況を含意します。
日本語訳の「悪い者から」 は、より具体的に「悪魔」や「サタン」といっ
た人格的存在を意識した訳です。
韓国語訳の「アゲソ」 も英語と同様に「悪から」と訳しており、
抽象的な「悪」を指しています。
つまり、原語に忠実かどうかは、どちらの解釈を採るかによって変わります。
文法的にはどちらも可能で、神学的な立場や翻訳方針によって「悪」か「悪い
者」かが選ばれているのです
ここで一つ質問させてください。「悪の反対は何でしょうか?」「愛」「善」
とかの言葉がでましたね。
実は面白いことに、英語でevil ということばは反対から読むとlive になり
ます。悪とは「生きること」「生き生きしている、今ここに居る」ことの反対
なのです。神が「動的な存在」であることを考えると悪がその反対であること
は想像に難くありません。
人は自分が認められ、安定したら他人を抑圧する者です。「誘惑に陥らない
ように」はこのことかも知れません。
「主の祈り」をとおして自分の行動が「生きる方」へ向かっているのか、「悪
の方へ」向かっているのか日々検討して歩む者となりたいものです。