「 国と力と栄とは限りなく汝のものなり 」 歴代誌上29 章11 節~13節
「主よ、国もあなたのもの、あなたはすべてのものの上にかしらとして高く立っておられる。」29:11b
今回で、主の祈りの最後の部分になります。
実は「国と力と栄とは限りなく汝のものなり」は聖書には記されていません。
この部分は「頌栄(しょうえい)」と呼ばれ、祈りの締めくくりとして神への
賛美を表す言葉です。
聖書の中では、『マタイによる福音書』6 章13 節に「主の祈り」が記されて
いますが、最古の写本にはこの頌栄は含まれていません。
後世の写本や礼拝の伝統の中でこの言葉が加えられ、共同体で祈る際の形式的
な締めくくりとして定着しました。
いつ・どこで加えられたのか?と言いますと、紀元1 世紀末?2 世紀初頭に
成立したとされる『ディダケー(十二使徒の教訓)』という文書に登場しま
す。これはシリアやパレスティナ地方の初期キリスト教共同体で用いられてい
た祈りの形式で、ユダヤ教の伝統に倣って祈りを賛美で締めくくる習慣が反映
されています。
また、この言葉の原型は上記の『歴代誌上』29 章11 節にあるダビデ王の祈
りに由来すると考えられています。
ある方が事業上で危機に瀕して苦しかったときに、お連れ合いさんに連れら
れてはじめて教会に行き、この主の祈りのことを知りました。
特に最後の「国と力と栄と限りなく汝のものなり」というのを聞き、「そうな
んだ、富も財も地上の、人間の営みを超えて、大いなる存在、神のものなの
だ」と知らされ大きな衝撃を受け、教会に行くようになった、と伺いました。
信仰共同体の中で共に主の祈りを唱えられる素晴らしさに感謝したいです。
今まさに、選挙の時です。地上のことに関わるのは教会の務めでない、と言わ
れる教派、教会もあります。とんでもないことです。主の祈りを唱える者は、
なおさらこの地上の営みに関心を持って過ごすことが大切です。「主の祈り」
は私たちの日常の生活と密着した深い素晴らしい祈りなのです。