「 引きずられて生きる 」 マタイ11:28~30

「わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽い。」 30節

 なんともおかしなタイトルです。「私は何物にも引きずられていません。私
は私らしく生きています」と堂々と言えるとよいですね。

 本日の聖書で語られている軛(くびき)とは、2頭の牛が頭をそろえて木製の
軛に繋げているものです。農作業で畑を耕す牛ですが、軛で繋がれているので
2頭がキチンと並んだ首の故、足並みがそろっていると大丈夫ですが、万が
一、揃わなかったらその働き、歩みそのものが重荷となります。

 当時、律法とか社会的な重圧に押しつぶされそうな人たちにイエスは上のよう
に言われました。
またこの2頭の牛は、1頭は自分で、並んで荷台を運んでいるもう1頭はイエ
スだとも言えます。

 要はイエスの 軛が負いやすく、荷が軽い というのは
◎ 律法の重荷からの解放(ねばならないという縛りからの解放)
◎ 神との関係における優しさと導き(裁きの神ではなく愛そのものの神)
◎ イエスと共に歩むことの安心感(裏切らぎられない真の友)でしょう。

 私たちは負いやすくない軛を与えられているとしたら、どちらかというと自分
自らがそれを作りだしたり、引き寄せている場合が多いのではないでしょうか。

 マザー・テレサのことばといわれている以下の文は適格に私たちの思考につ
いての警告です。
  思考に気をつけなさい。 それはいつかは言葉になるから。
  言葉に気をつけなさい。 それはいつかは行動になるから。
  行動に気をつけなさい。 それはいつか習慣になるから。
  習慣に気をつけなさい。 それはいつか性格になるから。
  性格に気をつけなさい。 それはいつか運命になるから。

 何ものにも引きずられない自分になるには、まず自分の思考に気をつけて
日々行動することが大切でしょう。