「 なぜ美容師を選んだのか 」

「 いつも喜んでいなさい 」 第1テサロニケ5:16

 証の時間を終え大変ホッとしています。母がわたくしにいろいろとしてくれ
たことは、今思うと、感謝の思いが強いです。

 まだ、子供が小さい時、わたしを助ける為とはいわずに、「パーマをかけ
て」、という風に、来てすぐ掃除、洗濯、台所と働きづめです。

 そんな母を見て、長男(2歳くらいの時)と思いますが私に訊いたのです。
「お母さん、本当におばあちゃんの子ども?」と。
わたしが美容の道をすすむための道筋をいろいろ考えととのえてくれまし
た。
 母はまた、勉強という言葉に弱く、わたしが東京に行って勉強したいという
願いを実現させてくれ、後の美容の事を頑張ってこれたことは、母もきっと喜
んでいてくれたと思います。

 「いつも喜んでいなさい」というみ言葉は、わたしにとって生きる為の励まし
の言葉となっています。
以下は申のFacebook から。秋さんの証の概要です。「昔々のことを話させてく
ださい」、から始まりました。在日コリアンには綺麗な仕事、楽な仕事はなか
った。母は尼崎で男たちに交じって働く女性、ズタ袋を持ってコークス拾いを
していました。
韓国人として母は差別を受けた人生だった。でも長女の私を大事に育ててくれ
た。また、畑の残りものをもらって生活。将来を考えても楽な綺麗な仕事はな
かった。外に出て働けとはいわず、娘には自分のような苦労をさせまいとした
母。将来のためには洋裁かパーマ屋さんかを選ぶようにと。

 ミシンをよく踏めなかったので洋裁は無理、パーマ屋を選び、阪神の御影にあ
る日本美容学校へ。パーマのことを良く知っている人たちがいて、自分は逆毛
(さかげ)、ロット巻きが何かもわからず、おろおろしながら何とかついて行った。
神戸の新開地からはじめて、そこで住み込み。 実習は東京へ。山野千枝子に
師事。  1年以上にいても東京見物は何処へも行けなかった。

 一生の仕事をこのように導いてくれた母にただただ感謝。