「 つながること 」 マタイ25:14~30

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」 
1コリント15:54b~55(旧約ホセア13:14)

 本日は永眠者記念礼拝です。
 私たちのもとから天に帰った方たちのことを想いしばし黙祷いたします。
私たち一人ひとりもいずれはこの世を去ります。

 イエスは死に対してどう語られたのでしょうか。
 「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せて
おくがよい。」マタイによる福音書 8 章22 節

 「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って
神の国を告げひろめなさい。」 ルカによる福音書 9 章60 節

 死に対してクールなように思えます。でも、よく考えたら死を恐れ、死に
とらわれたままでいることに警告を放たれたのでしょう。
 また誰もあの世に行って帰って来たという人はいません。臨死体験はまた
別のことですが。

 51節 「 聞きなさい。あなたがたに神の秘められた計画を告げましょう。
わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。終わりの時には、皆、変
えられます。」
 実は亡くなった時からのその方との関係が新しく展開しているようです。
亡くなられた方たちと私たちとの関係を想い起こすことは、死を引きずって
いるのではなく、地上での生活に疑問な点が大きかったとしても、亡くなられ
てから再解釈する道も開かれます。
 YO さんは亡くしたお連れ合いさんとの関係は、地上におられたときと天に
帰ってからは変わったものになりました。

 信仰者とは、地上で共に過ごした彼、彼女のことを、「神の国」の次元で考
えられる者ではないでしょうか。地上で交わした諸々のこと、良きことも苦し
かったことも、今のわたしの血と肉になっています。
 永眠者記念礼拝の日だけでなく、その方たちのことはこうも考えられるの
ではないでしょうか。

 多分あの世で、私たちのこの世での生を良きものとして全うすることを願っ
ていることでしょう。これまでのことも大切な思い出となっている一方、不完
全燃焼、未完成になっていることもあったかもしれません。しかし、彼女・彼
が天に戻っての「それからのこと」はすべて豊かな恵として、残された私たち
に注がれているのでしょう。それに気づくのもスルーしてしまうのも自由です
が。今、ここに生きることが残された者のなすべきことではありませんか。