「 いのちを得る 」 マタイ16:24~27

「自分の命を救いたいと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを得る」 25節

 今日から、アドベント(降誕節)にはいりました。オルガンの上に、「降誕セ
ット」 つまり「クリスマス・ナティビティ(Nativity Scene)」が飾られていま
す。木製(米国産)で、ある方のご厚意でこの数年、この時期に飾られていま
す。

 イエスの誕生はこの世の価値観が打ち砕かれる出来事でありました。
 キリストに倣って生きるとは深い霊的な逆説を生きることです。 新しい生
へシフトを替えるのです。「わたしのために」とのイエスの言葉は「愛のために」
に置き換えられます。
 このことは、持っているものを捨てたらできるのですが、生に執着している
私たちにとってそんなにたやすいことではありません。

 ①  まず、自分の意思決定を神の目から見ることからはじめると可能になりま
    す。
 ② 小さな犠牲を日常に入れる。まず、家庭から行ってみる。やさしい
    ようで難しい。
 ③ 「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とのイエ
    スの呼びかけは今背負っている自分の苦難、困難を抱えながらも、エゴに
    なっている部分は潔く捨てる必要があるということです。
 
 そのように努力していると、物事の観点が変わって行く、祈りに時間費やす
ようになり、 自分の技術をボランティアとして使うなど、できることを為す一歩が
始まります。生活のパターンが替わって行く。

 霊的な逆説を生きる例を一つ。最近二人の方から伺ったお話。実家の財産分
与で兄弟と揉めそうになった時、こちらから贈与のお話を放棄した。結果は清々
しい気持ちになって、「良かった」と2人ともそうおもった、と。

 尊さは捨ててみないと分からない。持ち物を捨てるのはできても、命を捨て
る、は容易ではない、が、自分を支えてくれているものと思っているものを捨
てることはできるかもしれない。

 アドベントの期間に、少しは傷つくかもしれないけれども、霊的な逆説を生
きるお招きを受けていることに応答して、一日いちにちを大切に過ごしていき
たいものです。