「捨てられた石が礎となる」口語訳 詩編118:22,23

「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」新共同訳より

今年の台風の到来は異常でした。台風19号の被害も大きくなりそうです。

地球温暖化と関係があると学者は言っています。海水の温度の上昇が

台風を狂暴なものにしているとのことです。地球を傷めた人間による人災とも言えるかもしれません。

日本のどこにいてもこれからの人生で絶対に無事だという保障はないでしょう。いつどこにいても平常心をもって他者とともに困難を支えることのできる私たちでありたいものです。

今月の5日(土)に吹田で開かれたある精神科医の講演会に行くことができました。吹田福祉法人コミュニティキャンパスの主催の特別講演でした。

その方は崔秀賢医師、京都岩倉にある「いわくら病院」の医師を50年務め最後の18年間は医院長を務められました。

在日2世として「捨てられた者」としての存在であることを幼いときから身にしみて知らされた経験から、将来は「捨てられた者」としてこの社会から疎外されている方たちのために働きたいと精神科医になった方です。

彼がいわくら病院で力を入れたのは「開放病棟」でした。はじめは地域での理解を得るのが難しいなか、誠実で地道な取り組みで現在は開放病棟がメインの精神病院になっています。

 この聖書の個所は口語訳の聖書の日本語がしっくりいくのかもしれません。家を建てる者が、必要ないと見捨てた石がかえって用いられて、建物の大事な石として生きるというものです。

「若かりし頃、キリスト教の青年会でご一緒でした。愛妻S子さんとの結婚式にも私は出席して以来約50年振りの再会でした。S子さんは当時私が伝道師をしていた教会に通っていました。おしどり夫婦とはお二人のことでしょう。2年前クリスマスの朝のEテレ「捨てられた石が礎となる」にその様子が詳しく放映されました。 崔医師の爽やかな存在が、満員の会場を温かいエネルギーで包んでいました。嬉しくありがたい時間でした。」(申のFacebookからの引用です) この世の負と思えることが神のみこころに適った生き方をする中で大きく価値の転換(イエスの生き方)に用いられるという実例の一つです。