「確かな旅路」 (箴言3:21〜26)

「おびえてはならない。主があなたの傍らにいまし。足が罠にかからないように守ってくださる」(箴言25b、26)

本日は真珠湾攻撃の記念日です(1941年)。先週の4日にはアフガンで中村哲医師が暴徒に殺害されました。

「おびえてはならない」の一言は数千年たっても私たちにかけてもらわねばならないことばです。

箴言は成立した時代はおそらくバビロン捕囚後で,内外ともに悲観すべき状況にあり伝統的信仰は動揺し道徳的退廃も著しかったです。
この危機にあたり,預言者に代る教師たち (知恵ある者) は,神を恐れる以上の知恵はないという伝統的信仰に立脚しながら実際的処世訓を説きました。
※新バビロニアのネブカドネザル二世がユダ王国を前586年に滅ぼし、その時にユダヤ人をバビロンに連行したのがバビロン捕囚です。

「おびえないで」暮らすことは昔も今も大変なことです。

しかし、新約聖書ではルカ21:9では、「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」とあります。
それにしても中村哲さんの無残な死はなぜとの問いを世界に残しました。ただ、この衝撃的なかれの死の報道から、もう一度、人は何を目指して生きるのかを問いかけられることになりました。

中村師は医療で人を100人救うより、水なき荒れはてた干ばつの渇いた土地に水を引き入れて、数万人を食べさせる重要性に気づき緑の畑を作ったのです。
灌漑ばかり報道されていましたが米国が破壊しつくしたモスク(イスラムの礼拝堂、研修所)を再建したことが今回報道されました。 これがいかにイスラム教圏でラムの人たちの魂の開放になったかを、理解していた中村さん。クリスチャンの中村さんが、現地の人を愛して何が彼らの真の開放かまで見ていたことは本当にすごいです。彼の生き様から一人ひとりの人生の旅路はちがっていても、どこを今どこを歩いているかは、時々軌道修正すべきことでしょう。アドベントに。