「イエスを変えた女性」(マルコ7:24〜30)

「それほど言うなら、よろしい家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」29節

本日は11月22日「いい夫婦」の日と言います。性は生物学的・身体的なアイデンティティです。ジェンダーは「女と男の役割」について、文化から話す。聖書は決してこの両方の男女のことを平等には扱っていない。むしろ父権制を助長しています。

 イエスは疲れていてだれとも会いたくなかった。そこへ、慣れ親しんでいる同族の女性ではなく、民族と宗教が違い、他者性であるシリア・フェニキアの女性からのお願いを聞く羽目になります。切羽詰まった女性です。悪霊につかれた娘を治して欲しいと。はじめはイエスは同族のものにしか関心がないことをあらわに話しますが、犬扱いにされても、この女性は「食卓の下の小犬も、子供のパン屑は頂きます」と食い下がります。それに対するイエスの応えが上記の聖句です。

 イエスを変える物語?これは不敬罪ではないのか? いえいえ、なんとイエスはここから狭い自分の民族の枠の中から広く外にでることが出来たのです。

昨夜「親のとなりが自分の居場所〜小堀先生と親子の日々」Eテレを見ました。遅い時間で迷ったけど見て正解でした。「こもりびと」のこどもたち(50代、60代)が親の「しまいの時間」に向き合うことだけをしている。まさしく8050,9060問題。

明治の文豪、森鴎外の孫である小掘鴎一郎医師(82才)の助けが紹介されている。東大病院の外科医として年間300件以上の手術を手がけていた。しかし、定年後、患者の看取りまで担う在宅医となり、延命治療をめざしてきました。これまでの経験とは全く別の医療の世界に足を踏み入れたのです。

私はこの8050問題に特別関心があったわけではなく、ただ、「大変なことで、これからも増えて行くのだろうか」ぐらいにしか思っていませんでした。

この番組から得たものは、どんな状況であれ良き看取りをするように寄り添ってくれる医療従事者や介護の援助がある中で、年老いてもう間もなく逝くであろう親と密着している子の豊かな交流の時間を「愛ある関係の時間」と理解することでした。イエスがかの女性の関りから変わって行ったように、私たちも固定観念で縛られているところから、自由になり、人を広く深く高く理解できる者となりたいものです。愛の形を固定化することほど愚かなことは無し。