「控えめに待つ方」(ルカ2:1~7)

「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(7節

今、クリスマスは教会より先に巷の喧噪の中にあります。10代のはじめ、もし自分が原っぱにひとりポツネンと立っていて、今日はクリスマスの日だと知らされたら、嬉しいものなのかと自問自答を試みていました。

本日のテキストは良く知られたところで、簡単に読み過ごしてしまっているところです。

でも想像力を働かせましょう。こんなにひっそりと生まれた赤ちゃん。

両親が生活しているところで産まれたら、親戚、ご近所の人たちのお祝いをいっぱいうけるはずなのに・・・・・。クリスマスはいつからこんなに派手なお祝いになってしまったのでしょう。実は、既成の宗教団体ではなく、静かな祈りの共同体の存在はキリスト教にも仏教にもあります。  

上垣 勝牧師(親友の連れ合い)が「テゼ共同体と出会って〜闇の中に、消えぬ火かがやく〜」を出版されました。一冊贈呈してくださり、私にとって素晴らしいクリスマスプレゼントになりました。1970年代からお一人でまたはご夫婦でフランスにある「テゼ共同体」を体験されました。この本はただ、テゼの紹介だけでなく、つい最近引退された板橋大山教会で「テゼの集い」を行われた様子とそこで考えられたことも書いておられます。植松功さんがこの本を「個人的な歩みという横糸とテゼの描写という縦糸が実にみごとに織り成されていて、美しい織物のようです。」と言われ、ほんとうにそうだと思います。この混沌としている世にあってこの本は、居るところでオアシスを味わせてくれる魔法の本です。やさしく、自然態で、テゼからの爽やかな風が地球を浄化してくれている感じをあじあわせられます。そして「板橋の集いで」は今、日本が抱えていて看過できない在日コリアンの問題にも触れています。

 「テゼの書物は、キリストの平和の故に現実の中に入って愛を選択すること、希望を創りだすことを勧めるのです。それは苦悩を担うことです」173頁

アドベントの時期にこの本に触れ、クリスマスを待つ気持ちが豊かに自分の中で育まれ、失望やあきらめではなく、まことの希望の光を見つめて行けるよう励まされます。

「控えめに待つ方」のタイトルはルネ・ヴォワイヨールの「イエスは無限に控えめな方。彼は私たちを待っておられる」(「クリスマスの贈る100の言葉」)にヒントを得ました。イエスはいつも流れに逆らっていと小さき者の傍らにおられることを覚えよう。

思い出しましょう。このアドベント(待降節)に。