「魂への呼びかけ」 (ルカ12:13~21) 

 「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」(20節)

 本日のテキストの個所は共観福音書の中で、ルカだけが書いているものです。13節から21節までに2回「命」がでてきますが、「用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」15節)の「命」と「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」20節)の命は原語で読むと違っています。 

はじめのはゾーエー、生命の命。 後者はプシケーで魂の訳の方が正しいです。 

ですから、この個所はただ、お金と命のことを言っているのではなく、 「魂」の問題に触れています。また、イエスのどんなたとえ話にも出ていない「神」が記されていますし、「お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」の記述は神がどうかするということではないのです。 

貧しく、虐げられている人々を示唆しているような表現です。映画「パラサイト」の結末のような悲惨なことになる、ということを思い浮かべられるかも知れません。 

北九州市で路上生活者の人たちの救済を中心において牧会しておられる 奥田知志牧師は「宗教者とは、神仏を頼らないと生きてはいけないと悟った人。弱さの承認が宗教の本質の一つ」と強調しておられます。またそれを踏まえ、「自分だけ」からの卒業が求められていると語っています。宗教者とは宗教家だけではなく、広く考えて宗教に関わる者と言えます。

また精神科医で牧師の山中正雄氏は、自死を考えている人に伝えたいことを語った後に、「生きているのではなく、生かされている」ということ、「今生きているのも、命を与えられ、家族や友人がいて、社会のサポートがあったから。究極的には、命は神様が与えてくれたもので、すべての命は神様の愛の中で生かされている。言葉ではうまく伝わらないかもしれないが、だからこそ、『生きているのではなく、生かされている』ということを、人との関係の中で実感してほしいのです。家族や友人、他にもいろいろな人がいると思いますが、あなたが『人間』となれる相手がどこかにいるはずです」と言います。イエス・キリストは魂、私たちの本質に触れています。コロナ時代に、生命だけでなく、魂のことを深く考える私たちでありたいものです。