「多くの人の中に」 イースター(ヨハネ20:11〜18)

「わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへ私は上る。」(17節)

マグダラのマリアはイエスが十字架上で殺されたあと、墓の中で遺体と出会うことなく、園丁と間違えていたイエスから「マリア」と声を掛けられます。

イエスは「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われ、「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

もともと大いなる存在は愛の存在。それにつけ足すことはありませんでした。イエス・キリストはキリスト教を普及しようとしたのではなく、神と自分と隣人の関係を端的に伝えたのです。

そのあまりにも簡潔過ぎた教えゆえに憎まれたのです。あなた方とわたしの神は同じであること、帰るべきところはその神のところだと。復活の出来事はこのことの証です。

マザーテレサの次のことばがこのことを言い表している気がしました。

「ふたりの人を同じように、完全に愛することはできません。
けれど、多くの人の中にひとりの神を愛するならば
あなたはすべての人を完全に愛することができるでしょう。
あなたの頭と心、あなたの生活と行いを 神に集中させて
すべての苦しんでいる人の中に 神を見るようにすべきです。」

今日はこれから太田舜祐さんの洗礼式があります。受洗はずっと考えていましたが、先週の礼拝で、特に分かち合いの時に決心したということです。

苦しい長い時をすごし、1年3か月前、教会に来る前まではいわゆるひきこもりの生活でした。

まさしく先月の3月20日の崔秀賢先生の講演で伺った「病抜け」を彼はしたのだと思います。豊かな人生をイエスに倣い、信仰共同体と共に自由のうちに歩むことをこころより願います。復活の喜びをともに分かち合いましょう。