「 毎日が宗教改革 」 コロサイ3:7~11

「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着 け、日々心にされて、真の知識に達するのです。」 9節~10節

今日は宗教改革記念日です。1517年にマルチン・ルターがヴィッテン ベルク城教会の扉に『95 ヶ条の論題』を張り出したことを記念していま す。それまで腐敗したカトリック教会に抗議した人たちはたくさんいて、 火あぶりの刑や拷問で殺されました。その中で、ルターは生き残り、宗教 改革の象徴的人物となりました。

もし毎年、結婚記念日を祝いながらも、日常的にお互いを思いやらない 生活をしていたら、この記念日はどういう意味を持つのかと思います。 同じく、宗教改革も記念日としてだけ守るのでしたら、悲しむべきことで しょう。 宗教と 宗教と 宗教は英語で religion(リリジョンー 再結合)といいます。 何との再結合かというと、神(大いなる存在)と繋がることを言います。

先日、以下の言葉に出会ったときに、私の脳裏に浮かんだある大変な難儀 に出会った女性のことを思い出しました。 どんなに考えても自分の人生の意味が分からないなら、それはあなたの人生に、簡 単に理解し尽くせないほど深い意味があるということ。今わからなくても、自分の人生 には必ず意味がある。そう信じて、一日一日を精いっぱい生きられますように。今晩 も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳弘史神父

これを Facebook に載せました。すると、私が思っている人ではなく(彼女 は Facebook をしていません)違う2人から応答がありました。一人の方は 「ありがとうございました。ジンときました」と。「良かった!」と思いま した。この方もよくぞ逆境に耐えておられると思わされている方です。

本日のテキストは ① 古い人をその行いと共に脱ぎ捨て ②造り主の姿に倣う新しい人を身 に着ける③真の知識(自分と神と隣人について)に達する。 宗教改革とは個々人が日常の生活の中で、辛ければ辛いほど「深い意味 があること」「それを信じて」「精一杯生きる」に尽きるのではないでし ょうか?私たちも大いなる存在にゆだねつつ、自分を深く愛することを模 索しつつ日々歩みましょう。