「 クリスマスのひみつ 」  マタイ2:7~12

家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。11節

 一昨日、西梅田でとんでもない事件が起きました。患者に誠実に寄り添った治療をしている精神科のクリニックが放火されて、院長を含む27名の人たちが搬送されました。

 街の雰囲気はクリスマスモードになっている中で、こんな悲惨で、残酷な事件が起きたのです。犯人といわれる人の動機も何もまだ分かってはいませんが、無差別に殺人を犯すこと自体、尋常ではなく社会が病んでいる証拠です。

 このような中で主イエス・キリストの誕生をお祝いするということにどんな意味があるのでしょうか?

 イエスの誕生を最大のお祝いにしているのはキリスト教だとしても、その意味を知らない人たちにとっては、深い意味よりも、楽しく嬉しい時を過ごす時として一つのイベントになっています。それがおかしいというより、巷に愛のエネルギーが満ちる時として歓迎するには異論はありません。

 ただ、この機に1人ひとりの人間が赤子としてこの世に生まれてきて、祝福される人生を送るように招かれていることを覚えたいと思います。イエスの誕生を祝うということはとりもなおさず、私たち1人ひとりもかけがえなない存在であることを再認識する日です。

 赤ちゃんはそのまま自分らしく居ることが出来ます。そのように、大人になっても自分自身と仲良くなれば 人生は何の問題もない、のです。

 献げられた黄金は王位の象徴。乳香は崇拝に使われる高価な香料。聖別されている存在を意味します。没薬は死体の防腐剤として塗られます。死して復活することまで意味するという解釈もあります。それらは赤子イエスに献げられ、イエスを通して神は今、私たちにそれを「取りなさい」と差し出してくださっています。

「神の神の愛とは結びつける愛である。 一人ひとり、ばらばらに注がれる愛というより, 人間の内面を統合させ。万物ともしっかり結びつける愛である。 この結びつきが『自分らしくあること』の第一歩だから。」 メルヴィン・マシューズ

 クリスマスのひみつは(ひ 光に)(み 満ちた)(つ 繋がり)が見える形でこの地上に現れたということです。  メリー・クリスマス!!