「 かなえられる願い 」 第1ヨハネ 5:13~15

何事でも神の御心にかなうことを願うなら、神は聞き入れてくださる。 14節                                                                         

 祈りを熱くし、継続しているにも拘わらず聴かれていないなあ、と感じることがあります。
 個人的なお願いだけでなく、戦争を止めてください、弱い者をこれ以上泣かせないでください、殺されないようにしてください、との祈りも然りです。
 ならば、聞き入れられていない祈りは御心に適っていないのか、と気落ちしてしまいます。今まさに、受験シーズンです。受験に失敗した若い人が命をおとさないように、と思う時です。
 八方塞がりの時がチャンスでということで、立ち上がることのできる人もいます。その力も残っていないという人もいます。

 本日のテキストの言葉とともに、この言葉も意味深です。
「 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすればその通りになる。」 マルコ 11:24

 病者の祈り ~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩は次のとおりです。
○ 大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
○ より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病弱を与えられた。
○ 幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
○ 世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
○ 人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと生命を授かった求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
○ 神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。私はあらゆる人々の中で最も豊かに祝福されたのだ。

① 求めた祈りは違うものに変わった。
② 自分の心の中の真の願いは聞き入れられた。

 まさしく「ほんとうの願いは聴き入れられる」という逆説を知るものは幸いなり、でしょう。イエスのご受難を忍ぶこの時期、にもかかわらず、祈りを熱くする者と成りたいものです。