「 弱者への委託 」 Ⅱコリント12:7~10

わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ
十分に発揮されるのだ  9節

今、私たちは弱い者が武器を有している者たちに押し潰されている惨状をメディアを通して見せられてい ます。あまりの酷さに目を覆いたくなります。
 地球そのものが、そして、そこに住む生きとし生けるもの、声なき声を発するいと小さきものが強者と力をおごる人間に潰されています。
 ヨーロッパでのナチ、アジアで の暴虐を経験した人間が今も反省なしにこのようなことを・・・・・・・・。
 沈黙の中で、ふとキリスト教は「 にもかかわらず 」の精神を基本にしていることを思い出す。
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲む人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人びとは幸いである。天の国はその人たちのものである。マタイ5章
 本日のテキストの「力」は他の聖書では「私の力」すなわち、神の力と訳されています。英語では strength と power。要は聖書のいう力は次元が違います。神の力の発揮は 人のそれと違うことを知らなければ聖書は理解できないことに満ちています。
 主は、「お前はわたしの恵みで十分だ。弱さにおいてこそ、力は余すところなく発揮されるのだ」とお答えになりました。ですから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで、わ
たしは自分の弱さを誇ることにします。 Ⅱコリント 12:9
 まことの力の次元を見据え、ただ 失望と脱力感に打ちひしがれるのではなく、私たちは自分の周りで、同じく暴力がはびこることに抵抗しましょう。