「生き生きとした希望」 1ペテロ1: 3 ~9

「それは、あなたがたが 信仰の目的 である 魂の救い を得ているからです。 」9節
(新共同訳よりもこの聖書協会共同訳の方が分かりやすいので引用しました)

先週、私たちはイースターを迎えました。復活を生きることの意味について考えました。
でも、それを知ったところで、今の生活が何か「生き生き」していないなあと思うこと
があります。イースター後でなくとも、時には信仰を持っていることがあまり意味を持た
ない、と思うこともあります。
そんなとき初期のキリスト者たちがどう生きていたかの足跡をたどるのもよいでしょう。
本日はペテロの第1の手紙の1章をテキストにしています。
「 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉
では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています 」 8節
これに続いているのが上記の「 それは、信仰の目的である《 魂の救い 》を得ているからで
す。」
もう一つ「 信仰の結果である、魂の救いを得ているからである 」ロマ10:9
信仰の目的と結果が《 魂の救い 》だといいます。自分自身の信仰を振り返って見る時、結
局は信仰とは 人生の歩み とは《 魂の救い 》 だったのか、と改めて認識させられます。
では魂はどこにあり、どんなものかと検討すると、人によっては「 心 」はわかるけど、
「魂」は はっきりしないという人が多いでしょう。それでよいと思います。
先日ある方とお話をしたとき、「 先日ご一緒した会で、わたしが心の深いところで、あ
る気づきをもらいました。『 そうなんだ 』と、その思いをもって帰宅したところ、仕事の注
文が来ました。上からの お計らい としか思えませんでした」といわれました。
キリスト者なら、これは「聖霊のお働きです」と表現されるでしょう。彼女の
今までの苦難と努力の道のりを知る者として、日々心を清めて愛を持って生きることが、結果とし
て魂を磨き、魂を成長させているのではないかと思わされます。
「 霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(セルフ
コントロールです」ガラテヤ5:22 これらと魂は深く繋がっているようです。