母の日 「 願いつつ喜ぶ 」 ヨハネ16:16~24

「 あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そ
うすればあたえられ、あなたがたは喜びで満たされる 」24節

神に願う時、イエス ご自身も生前は自分の名によって願いなさい、とは言わなかった。 復活後には、父なる神に願う時、イエスを通して、という形がとられるようにな った根拠はここにあるようです。
本日は教会からはじまったという世界的な習慣、いわゆる「 母の日 」であります。 自分をこの世に生み出してくれた母親に思いを馳せる日です。
ここで 1分間、亡き、あるいは、今生きておられる母親を 想って黙とうします。(黙祷)
また、新約聖書には以下のような聖句があります 。
『 あなたの父と母とを敬え 』。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、『 そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう 』。エペソ人への手紙 6:23 父母を覚える日でもあります。
母の日に毎年考えることのもう一つに、神に対する呼称があります。イエスが神に「父なる」神、と呼びかけ始めたのは旧約聖書時代 に は神を畏れ多くも「父」とは呼びかけられなかったところ、膝をゆすって「お父ちゃん」と 何かをねだる子供のように、親しみをもって神に呼びかけようとしたことからはじまりました。元来神の本当の名は、「あってあるもの」出エジプト3:14 となっていますが、原語では「あってあるようなものであるような・・・・・・・・」と未来完了形で続きます。
「 神は愛なり 」 とは神も愛も形を整え、どこかに鎮座するものではないために、「 願い 、 喜ぶ 」ことを通して、まるで幼子のように甘えてよい、という宣言でもあります。キリスト教が 2千年の歴史 で培われた教義にがんじがらめになったり、自由な心を縛るのではなく、母の愛に象徴される神の愛に立ち戻ることが今の混沌とした世界には急務であることを、今日、特に覚えたいものです。