「悲しむ人々」マタイ5:4

悲しむ人々は、幸いである。その人々は慰められる。

 悲しむ人々が幸いとは? それも 他の聖書の訳 では 「 神 」 が慰めるという 。
どういうことであろうか 。以下の詩が答えを伝えてくれているようだ。

《こわいをしって、へいわがわかった 》 びじゅつかんへお出かけ おじいちゃんや おばあちゃんも いっしょに みんなでお出かけうれしいな

 こわくてかなしい絵だった たくさんの人がしんでいた。小さな赤ちゃんや、おかあさん 風ぐるまや チョウチョの絵もあったけど とてもかなしい絵だった おかあさんが、七十七年前のおきなわの絵だと言った ほんとうにあったことなのだ たくさんの人たちがしんでいて ガイコツもあった わたしとおなじ年の子どもが かなしそうに見ている こわいよ かなしいよ かわいそうだよ せんそうのはんたいはなに?へいわ? へいわってなに? きゅうにこわくなって おかあさんにくっついた あたたかくてほっとした これがへいわなのかな おねえちゃんとけんかした おかあさんは、二人の話を聞いてくれた そして仲なおり これがへいわなのかな せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいおとさないように なくさないようにわすれないように こわいをしって、へいわがわかった (小2 7歳 徳元穂菜ちゃん 沖縄全戦没者追悼式 2022年6月23日)

 怖いは悲しい、辛い、逃げたいということです。そのような経験をすることからまことの平和が解ってきます。この7歳児の感性、大人が失ってしまった逆説的な真理の気持ちに大人は倣いたいものです。詩にある母親の温もりに、愛の神の象徴を見ることは可能ではないでしょうか。

平和をつかみたい/ずっと持っていたい/落とさないように、なくさないように

 悲しむというのはマイナスではない。ほんとうの正義とは何かを考える人には次のことばが深い示唆をあたえてくれる。「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。」(やなせたかし「アンパンマンの遺言」」)イエス・キリストは悲しむ人、傷つきながら本当の幸せを人々に伝えたのです。私たちも悲しむ人になることを避けないで、心より悲しみ、慰められ、そこから見えてくるなすべきことに自分なりの関わりを持ちたいものです。